KKST-0023
周りの四人で机を寄せて、「木天蓼(またたび)商店街活性化のアイデア」を十分でまとめるよう、講師から指示があった。ぼくはめんどくさかったので、もっぱら書記役につとめるべく、すぐメモ紙を目の前に出して、それとなく、まとめ役くさい台詞を放った。
「どうしましょう」
ぼくのグループは、商店街じゃないところで時計店をやっている年長の柴田(しばた)さん、パート勤め主婦の吉原(よしはら)さん、女子大学生の森塚(もりつか)さん、という顔ぶれである。こういう研修でもないと一言も交わさないような組み合わせで、しばし半笑いに唸ったあと、ぱちり目を開けて最初に口火を切ったのは、吉原さんだった。
「潰しちゃったら駄目? 商店街」
「うわあおドラスティック」とぼく。
「潰したら駄目だろ」柴田さんも仰け反って笑った。
「潰すって、単に潰すんじゃなくて、久遠(くおん)グループのスーパーを誘致して建てるの。おっきな駐車場と一緒に」
「そしたら人が集まってくるってか」
「そうそう。でも、集まってくるかこないかって言ったら、絶対集まってくるでしょ?」
「集まってくるけど、スーパーに行った客が、商店街に寄ってくかい?」
にやにや頬杖つく向かいの柴田さんに、吉原さんは軽く机を叩いて語気を強めた。
「だから、商店街は潰すの」
「あくまでも潰す」メモするぼく。
「で、スーパーの中にテナントで入ってもらうってこと」
「ああ、そう……。どっちにしろ大がかりな話だね」
そう評すると、柴田さんは姿勢を正して、自分の意見を開陳した。
「俺は十パーセントくらいの共通ポイントカードを作るのがいいと思うな。十パーセントは多分でかいよ、三千円食料買って、三百ポイントだからね」
「現実的な感じですね」とぼく。
「少し地味じゃない?」眉を寄せてばっさり言うと、吉原さんは腕を組んだ。「もういろんな商店街でやってるでしょ」
「割合が肝(きも)さ。客の立場で見れば、実際の得で考えて買い物先を選ぶよ、絶対。スタンプカードみたいのなら初期投資もちょっとで済むし」
「結局はポイント」メモするぼく。
そこで、あの……、と、気後れぎみに、正面の森塚さんが軽く手を挙げて、初々しい口調で訊いてきた。
「あんまり大きなポイントにすると、商店街側がやっていけなくなる、っていうことにはならないんですか?」
「その辺の覚悟は必要だよねえ。ポイント分は結局、ポイントつけた店が払うってことだからね」
「そうなんですね」
別に緊張して喋れないというわけではなさそうだったので、彼女にも意見を求めてみる。
「森塚さんは、何かある?」
「うーん、……」
彼女は他のグループの話し合いが飛び交う空中をぼんやり見つめながら、ぽつり、
「カジノを建てるとか……」
「法改正だね」柴田さんがゆっくり頷いた。「法改正が必要だね」
「あの、じゃあ、新興宗教の礼拝所とか……」
「しんこうしゅうきょう?」吉原さん、噴き出して、「何教? ねえ。何教がいいの?」
「何教でも良いんですけど、お金持ちな宗教がいいです」照れくさそうに頭をかく森塚さん。
「わあお現金」とぼく。
「色々あるけどねえ、どこの信者も財布はかたいもんだよ」
発想は面白いけどねえ、と柴田さん。「お金持ちな宗教っていうのは、信者がお金をくれてるわけだけどね、その信者がお金持ちか、って言うと、一応、その辺にいる普通の人たちなんだもん。教祖が宇宙意思を感じちゃうって信じてるだけ」
「宇宙石?」不思議そうな顔で復唱する森塚さん。
「お金は宇宙行き、っと……」
ぼくがシャープペンでかりかり箇条書きを増やしていると、
「んで、きみはどうなんだい?」
と、とうとう柴田さんに話を向けられてしまった。ぼくはとにかくめんどくさかったので、そうですね……、と応じながら、手元のメモを読み返して、こう答えた。
「えーと、少し区画整理をして、『広い駐車場』と『パチンコ銀座』を作ります。そして、『久遠スーパーのポイントカード』がどの店でも使えるようにします。これなら全員の意見が活きると思うんですが」
向こう三人、何ともいえない顔で黙っちゃったので、ぼくはあわててアイデアをつけたした。
「そんな流れで独立国家にしましょう!」
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:ディスカッション
分類:掛合い
作成開始日:二〇一三年四月二十九日
作成終了日:二〇一三年四月二十九日
制作時間:二時間くらい
文字数:千七百二十六
KKST-0022
〇頼んでもいないのに届いたメンズニッセンの二〇一三年夏カタログでファッションを決めて、ワンカット書きます。
・10ポケッツテーラードジャケット、濃紺(五千九百九十円)
・タブルガーゼ長袖シャツ、紺ストライプ(千九百九十円)
・イタリアンレザーベルト、黒(二千四百九十円)
・ツータックドレスチノパンツ、ライトベージュ(他色との三本組、五千九百九十円)
・ビッグフェイスウォッチ、白(千九百九十円)
〇おしあがり
朝にまどろむ砂浜を、いつものように犬と並んで歩いていたとき、まだ色味の残った日光がぎらぎらと照り返すプラチナの海、その渚より数十メートル入ったところに、小さく人影があるのに気づいた。
進むでも、戻るでもなく、ぽつりとひとり、立ったまま、きらめくさざ波の息づかいにあわせ、軽く揺れている。
犬が嫌がるのを引きずるように、たわむれにぱちゃぱちゃ波が打ち寄せるそばを小走りして近寄ると、うす暗やみの中にいでたちが浮かび上がってきた。中肉中背に短髪の中年男性で、襟付きシャツに黒系のジャケット、下は淡色の長ズボン姿。とても海に入るのに相応しいとは思われなかった。
男性は、左手首に巻いた銀色の腕時計を目下に持ってきて、ただじっと、おだやかな顔をして文字盤を見つめている。
丁度真後ろに回り込んだので、何か、声をかけようとしたら、向こうもこちらの気配に気づいたらしく、上半身だけおもむろに振り返ると、軽く手を挙げて笑った。
「どうしました?」
そう口にした彼のはるか頭上から、細く真っ白な綱が、音もなくそっと垂れてきた。彼は待ちかねたように喜色を浮かべ、その末端の大きなフックを、ジャケットの裾をめくって出した革のベルトへ引っかけた。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:MNISN 2013S 46T
分類:カット
作成開始日:二〇一三年四月二十一日
作成終了日:二〇一三年四月二十一日
制作時間:一時間半くらい
文字数:七百二十五
KKST-0021
しびれをきらしたのか、ローテーブル越しに、少し年上の営業マンがビジネス的な上目遣いで決断を促してくる。同じ接客ソファに並んで座る由佳里(ゆかり)も、それを迫るような――厳密には、『わたしの意見で』という――視線を陽太郎(ようたろう)の顔面に向け、焦がすくらいである。
清潔で無機的な香りの漂うモデルルームの中や、少し膨らんだ新妻のお腹へもう一度目をやってから、陽太郎は、ちょっと一服してくるわ、と彼女に小声で伝えた。向こうはあからさまな呆れ顔のあと、諦めたように彼の肩を押し出して、当人を差し置き営業マンへ断りを入れた。
二人の苦笑いに見送られながら、決まりの悪い心地でモデルルームを出ると、彼はすぐ、前庭の導入路(アプローチ)ぶちにある灰皿スタンドに歩み寄った。ズボンのポケットからなじみの紙箱を取り出し、そそくさ上蓋を持ち上げて一本、つまみ出して急ぎくわえた煙草の先へ、使い捨てライターの火を当てて、軽く吸い込む。
巻紙ごと一気に赤く光りただれて、口の中に何ともいえないほのかな渋味と甘味、鼻の奥へ乾いた葉の香りが忍び来る。
それを深いため息で吐き出したのち、無意識に人差し指と親指で煙草をもてあそびながら、陽太郎はちびちびと煙を口に吸い込んでは駄々流して、少しだけ緊張のほぐれた意識を、灰先から立ちのぼる副流煙にしばし、ぼんやりと向けた。
五月の爽やかな陽気の中、不自然に整然として小洒落た住宅展示場のメインストリートのあちこちで、たくさんの家族連れが何か気取ってはしゃぐ子供を頭に、和やかに行進していた。皆、顔半分を覆う電脳グラスに日差しを反射させているので、表情は分かりにくかったが、軒並み口元は緩んでいる。
ちらりとその光景を見て、陽太郎は、そう遠くない未来の自分たちのことを思い浮かべ、重ねた。少し意欲を取り戻し、大分積もって迫ってきた灰を灰皿へ落としたあと、名残惜しみの一吸いをして、煙の誘い込むような風味を確かめてから、ひときわだらしなく口から漏らしきった。
半分くらい残った煙草を灰皿に押し潰して捨てたあと、彼は自分の電脳メガネの内側に、先程営業マンからもらった新築家屋の外観イメージ画像を二つ、三つと表示して並べた。
結論は出ている。
由佳里が指さしたものにしかなり得ない。ここ数ヶ月で何故か、そういう立場関係が固まってしまっていた。いま必要なのは、陽太郎自身の覚悟だけである。脳裡で彼は、おのれを駆け足にねぎらい、慰め、異質な価値観を教育して、寛容の態度の幸福を諭した。
そして五分弱。
メガネの画面を消し、灰皿から立ち去った彼は、モデルハウスの中へ戻り、会釈して元通り居間のソファへに腰掛けると、営業マンへ、厳しい表情と絞り出すような声で一言伝えた。
「壁は、……玉虫色で、お願いします」
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:ちょっとナーバス
分類:描写文
作成開始日:二〇一三年四月十三日
作成終了日:二〇一三年四月十四日
制作時間:三時間くらい
文字数:千百五十
KKST-0020
天使の羽まである黒髪を鏡越しにゴムで束ねながら、ハツヱは朝のまどろみの中で感じた、さざ波のような快さの正体を、自分の素知らぬ顔の奥にただした。
幻想の始まりには、ヒイラギの広くてすらりとした体躯があった。
見上げるハツヱに彼は、ほほえみかけるわけでも、からかうわけでもなく、なにか気持ちをたたえたくろい瞳をじっと向けて、抱きすくめた彼女の首肩へ、静かに自分の頬をあずけた。
ふたりはそのまま何も言わずに、若草の香りがする、やわらかな、かたちのない寝台の上で、ほのかな光にまみれながら、互いのからだを確かめていた。そんな浅い夢を視たのだった。
白地に紺襟の制服をかぶり、背中のファスナーを締め、ハツヱは自分の欲望は明白だと確信した。
ヒイラギに好意を寄せることも、彼から寄せられることも、心のどこかでひそかに期待していたのだ、と、今さら分かっても、決して彼女は嫌に思わなかった。校舎で良くも悪くも度々意識する相手だ、成り行きにも不思議はなかった。
ただ少しだけ、彼女は、胸のあたりに、何ともいえない小さな不安のきれはしがはためいているのを感じていた。——夢の中のヒイラギ、彼は、何を思って自分にすがったのだろう。彼はどう思っていると、『自分は思いたかった』のだろうか。好きな相手に、本当にあんな顔をして欲しいと望んでいたのか。その意味は何なのか。
行き着いた予想はあった。
鏡の向こうのハツヱに、彼女はそれを投げかける。
左右反転した彼女が、夢の中のヒイラギと、同じかげりを目に含んで、
「ひとりよがりだよ」
と暗に言い渡した、ような気がした。
彼女はふと我に帰り、耳のふちをさっと赤らめながら、襟元の赤いスカーフをぎゅっと絞って、きっと姿鏡に背を向けると、夜の凝りをほぐすように二、三、翼をゆるく開いては、閉じた。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:したく(sprout feeling)
分類:気持ち
作成開始日:二〇一三年四月八日
作成終了日:二〇一三年四月八日
制作時間:一時間半くらい
文字数:七百六十九
KKST-0019
浴槽に胸まで浸かったまま、バスピローに頭を預けて、文庫本を十ページほどゆっくり読み進めたところだった。
ユニットバスの中折れとびらが何の前触れもなく一度に開いて、真っ黒に塗り潰された、人型の『かたまり』が、一気に中へ乗り込んできた。
理屈じゃなかった。わたしの意識は理性を瞬時に凍結して、本能にからだじゅうを直につないだ。
内蔵からつま先までの血肉がショックでぴん、と痙攣し、夢中で目一杯空気を吸って、その勢いで立ちあがって部屋の角に退いた。なんの間合い取りにもならなかった。
恐怖はおくれてやってきた。
けれど感じるには大きすぎた。
『かたまり』はほんのわずかの間、洗い場でじっとしたあと、きゅっきゅっ、というゴム底の靴音だけ鳴らしてわたしに躍りかかり、その手を押しつけてわたしの視界を塞いだ。振り払おうとしたのを、あわてて振りほどこうとして、からだのバランスを崩した。そこまで裏目に出て、やっと、わたしは悲鳴をあげることを思いついた。
けれど遅すぎた。
底を抜いた叫び声のはしりに、からだが滑って、背中から頭まで水中に落とし込まれた。
不快な熱さと濁音のあと、耳に鼻に、遅れて口に、見境なく湯が食らいついて侵した。
気管と肺が反射でよじれたとき、わたしの本能は人間をやめた。
ただ苦しい、狂ったような苦しさに耐えられない一心で、目をひりひりぼやけた水中に見開いた。ひたすら腕と首と、はみ出た脚とでもがいた。へりを掴もうと、相手をなぎ払おうと、起き上がろうと、空気を掴もうとして、『かたまり』の乗り上げる白い水面を泡まみれにゆがめた。左右に乱れた視界が浴槽のとらえきれないアイボリーをなめた。心臓の鼓動が痛い。心臓の鼓動が痛い。
『かたまり』は全く動じなかった。
その全く光沢のない黒の両手をしっかり差し込んできて、尋常でない、終わりない力で、わたしの両肩を湯の底へ押しつけて、押しつけ続けた。
そして、何度目かの激しいむせかえりの途中から、ごうごうと大嵐のような低い轟音とともに、わたしの意識はすうっと白み、端々の感覚が痺れとともに消えていった。熱く、重く、痛く、苦しくからだを貫いていた湯が、急に優しく撫でつけるように思えて、悶絶が胸の奥の奥へ渦を巻いて仕舞われていくのに、引きずられるように、髪を振り乱した『かたまり』が、真っ赤な面に真っ赤な眼で、何か口走る映像が、焼き付いてすぐ暗闇の果てへ持っていかれた。
「どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、
ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない」
その後わたしが一命を取り留め、病院の集中治療室で目を覚ましてから、決して地獄にいるのではないと確信するまでには、短いとはいえない時間がかかった。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:あぼれる
分類:スリル
作成開始日:二〇一三年三月二十三日
作成終了日:二〇一三年三月二十三日
制作時間:二時間半くらい
文字数:千百五十七
KKST-0018
高校の部活を終えて自宅へ帰ったタケルは、玄関ドアに寄りかかった赤い小さな寝袋の中で、見知らぬ年少の娘が、どっぷり眠りこくっているのに出くわした。
動転して息をのんだ彼が、忍び足で近寄りながら凝視するのをよそに、少女は、九歳か十歳くらいと思しき幼げの残った顔だけ出して、ただ静かに寝息を立てていた。いとこたち、友達の妹、同じアパートの子供、……そのどれとも似つかない、全く見知らぬ子だった。
砂埃で汚れたスポーツバッグをそっと背後に置いて、間近にしゃがむと、タケルは少し躊躇してから、寝袋越しに、少女の肩を軽く叩いた。
「おい、」
呼びかけると、少女は電源が入ったようにぼんやりまぶたを開けて、彼のほうへ首を捻った。まだしっかり寝覚めていないのか、けだるい眼をして、一言も発しない。
タケルは反応に困りながら、もう一度話しかけた。
「おい、起きろ」
んん、と鼻から声をもらし、もぞもぞと寝袋の中から両腕を出した少女は、ちょっと曲がった方角へ伸びをした。そのままがっくりうな垂れて、どうも不満げに首を振る。
「起きた?」
タケルの問いに少女、んん、とまた鼻返事。
「何寝てんの。ひとんちの前で」
三十秒くらい黙ってから顔を上げた彼女は、やっと口を開いて、ことばを発した。
「キミのおかあさんは?」
「は?」
彼はすっかり呆れた様子で、
「おかあさんは? じゃねえよ。なんでこんなとこで勝手に寝てんだって訊いてんの」
「おかあさんじゃないと、話になんない」
少女はおしゃまに言いのけて、そっぽを向いた。「ねる」
「こら」
若干タケルはしゃくに障って、目を閉じた彼女の二つに分けた三つ編み髪を引っ張った。
「ここからどけろ。警察呼ぶぞ」
「やだあぁあっ、おにーちゃんがいたずらするぅぅうーっ!」
「わっ、ちょっ、」
いきなり町内に良く通る大声をあげられて、彼は思わず飛び退いた。
「馬鹿、うるせえ、何考えてんだ!」
「警察呼ぶよ」勝ち誇ったように見上げる少女。
「うわあ、殴りてえ……」
やり場のない両手をわきわきさせながら、タケルはそれを睨んで、
「とにかくそこをどけ」
「やだ」
「どけ」
「やだ」
「……、どk」
「やだ」
「ジョンソン」
「あ?」
全く言うことを聞かないので、舌打ちするタケル。
「なんでだよ」
「キミじゃ話にならないから」向こうは寝袋の前で腕を組んで、悠然と構えている。
「なにが」
「訊いても無駄」
「なんなんだよ、一体……」
ぎゅっと目をつぶって嘆く彼を、ふふふ、と少女がせせら笑った。
その後も、持ち合わせのチョコレートや百円玉を差し出しつつ、繰り返し少女に立ち退きを求めるが、てんで彼女は応じない。いよいよタケルは、天を仰いだ。
秋の空は淡く乾き、陰った電線と平行に細切れの雲が滑り、スズメが二匹、らせんを描いて飛んでいく。それを見送りながら、思い直して少女に尋ねた。
「うちの親に会ったら、絶対どくんだな?」
「結果によるね」
「家出して、帰る家がない、とかじゃあないの?」
「発想がまずしい」
「うう、殴りてえ……」
タケルは失笑して、視線を枯葉のへばりついた地べた、ツタの這う年季の入ったアパートの壁のひび、ドアの脇の窓の、磨りガラスの向こうの洗剤、新聞受けの夕刊、と絶え間なく移した。最後にやっと、少女を見下ろす気になる。
「じゃあ名前、お前の名前は?」
少女は返事の代わりに、首にぶら下げている携帯電話を寝袋から出して、画面を向けてきた。『鬼立かなめ』という文字と、電話番号が表示されている。タケルはその字面に、何となく心当たりがあったが、
「おにたつ……」
「キ/リュ/ウ」
読みすら知らない程度であった。
丁度そのとき、両手に買い物袋を提げた彼の母親が、アパート前の小路を歩いて戻ってきた。ただいま、といういつもの声を聞き、ほっとしながらタケルが振り返ると、母親は、慌ただしく寝袋をうごめかす玄関前の少女を見つけ、たちまち血相を変えていた。
そして、道の反対側で足を止めたまま、こわばった口で言いかける。
「……あなた、キリュウさんのところの、……」
「そうです。むすめです」
カナメは満を持したようにそう返事してうなずくと、寝袋の中にあった帳面をばっと開いて読んで、中身を確かめてから、笑顔で親子へ告げた。
「六ヶ月分、二十七万ゼロゼロゼロゼロ円のお家賃の支払いがありません。どうしますか?」
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:寝袋少女バリケイド
分類:謎解け
作成開始日:二〇一三年三月十六日
作成終了日:二〇一三年三月十六日
制作時間:四時間半くらい
文字数:千八百四十
KKST-0017
(一)
月面九条通(くじょうどおり)を甲と乙が、簡易宇宙服でタンブラー片手に並んで歩いていた。甲、軽やかに、「なんか右腕がうずくから/殴るね」と切り出す。乙、笑顔のまま訊き返す。
「え?」
(二)
間髪なく、一歩引いて軽く屈んだ甲が、乙の腹部ど真ん中に右拳を打ち込んだ。ぼご、と衝撃でくの字に折れる乙の全身。笑顔から噴き出すなにか。ほっぽり飛ぶタンブラー。
(三)
そのまま後方へ水平に吹っ飛んでいく乙。背中で電柱をなぎ倒し、ブロック塀をぶち破る中で、なにもかも悟ったように、そっとまぶたを閉じ、おだやかに心の中で呟いた。
(いいんだ……/いいんだ……)
(四)
(分かるよ……/それがお前のやさしさ……)
黒い空の下、一斗缶の山を突き抜け、一軒家、自動車、雑居ビルと次々貫通して遠ざかっていく乙を見届けながら、甲は胸に右手を当て、乙のことを想った。
(でもな……/それが社会をダメにするんだ)
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:はやく目を覚ませ
分類:意外性
作成開始日:二〇一三年三月十日
作成終了日:二〇一三年三月十日
制作時間:一時間半くらい
文字数:四百二十七
(投稿二時間後追記:こんな短文なのにかなり致命的な誤記があったため、修正しました。ショック……)