KKST-0018
高校の部活を終えて自宅へ帰ったタケルは、玄関ドアに寄りかかった赤い小さな寝袋の中で、見知らぬ年少の娘が、どっぷり眠りこくっているのに出くわした。
動転して息をのんだ彼が、忍び足で近寄りながら凝視するのをよそに、少女は、九歳か十歳くらいと思しき幼げの残った顔だけ出して、ただ静かに寝息を立てていた。いとこたち、友達の妹、同じアパートの子供、……そのどれとも似つかない、全く見知らぬ子だった。
砂埃で汚れたスポーツバッグをそっと背後に置いて、間近にしゃがむと、タケルは少し躊躇してから、寝袋越しに、少女の肩を軽く叩いた。
「おい、」
呼びかけると、少女は電源が入ったようにぼんやりまぶたを開けて、彼のほうへ首を捻った。まだしっかり寝覚めていないのか、けだるい眼をして、一言も発しない。
タケルは反応に困りながら、もう一度話しかけた。
「おい、起きろ」
んん、と鼻から声をもらし、もぞもぞと寝袋の中から両腕を出した少女は、ちょっと曲がった方角へ伸びをした。そのままがっくりうな垂れて、どうも不満げに首を振る。
「起きた?」
タケルの問いに少女、んん、とまた鼻返事。
「何寝てんの。ひとんちの前で」
三十秒くらい黙ってから顔を上げた彼女は、やっと口を開いて、ことばを発した。
「キミのおかあさんは?」
「は?」
彼はすっかり呆れた様子で、
「おかあさんは? じゃねえよ。なんでこんなとこで勝手に寝てんだって訊いてんの」
「おかあさんじゃないと、話になんない」
少女はおしゃまに言いのけて、そっぽを向いた。「ねる」
「こら」
若干タケルはしゃくに障って、目を閉じた彼女の二つに分けた三つ編み髪を引っ張った。
「ここからどけろ。警察呼ぶぞ」
「やだあぁあっ、おにーちゃんがいたずらするぅぅうーっ!」
「わっ、ちょっ、」
いきなり町内に良く通る大声をあげられて、彼は思わず飛び退いた。
「馬鹿、うるせえ、何考えてんだ!」
「警察呼ぶよ」勝ち誇ったように見上げる少女。
「うわあ、殴りてえ……」
やり場のない両手をわきわきさせながら、タケルはそれを睨んで、
「とにかくそこをどけ」
「やだ」
「どけ」
「やだ」
「……、どk」
「やだ」
「ジョンソン」
「あ?」
全く言うことを聞かないので、舌打ちするタケル。
「なんでだよ」
「キミじゃ話にならないから」向こうは寝袋の前で腕を組んで、悠然と構えている。
「なにが」
「訊いても無駄」
「なんなんだよ、一体……」
ぎゅっと目をつぶって嘆く彼を、ふふふ、と少女がせせら笑った。
その後も、持ち合わせのチョコレートや百円玉を差し出しつつ、繰り返し少女に立ち退きを求めるが、てんで彼女は応じない。いよいよタケルは、天を仰いだ。
秋の空は淡く乾き、陰った電線と平行に細切れの雲が滑り、スズメが二匹、らせんを描いて飛んでいく。それを見送りながら、思い直して少女に尋ねた。
「うちの親に会ったら、絶対どくんだな?」
「結果によるね」
「家出して、帰る家がない、とかじゃあないの?」
「発想がまずしい」
「うう、殴りてえ……」
タケルは失笑して、視線を枯葉のへばりついた地べた、ツタの這う年季の入ったアパートの壁のひび、ドアの脇の窓の、磨りガラスの向こうの洗剤、新聞受けの夕刊、と絶え間なく移した。最後にやっと、少女を見下ろす気になる。
「じゃあ名前、お前の名前は?」
少女は返事の代わりに、首にぶら下げている携帯電話を寝袋から出して、画面を向けてきた。『鬼立かなめ』という文字と、電話番号が表示されている。タケルはその字面に、何となく心当たりがあったが、
「おにたつ……」
「キ/リュ/ウ」
読みすら知らない程度であった。
丁度そのとき、両手に買い物袋を提げた彼の母親が、アパート前の小路を歩いて戻ってきた。ただいま、といういつもの声を聞き、ほっとしながらタケルが振り返ると、母親は、慌ただしく寝袋をうごめかす玄関前の少女を見つけ、たちまち血相を変えていた。
そして、道の反対側で足を止めたまま、こわばった口で言いかける。
「……あなた、キリュウさんのところの、……」
「そうです。むすめです」
カナメは満を持したようにそう返事してうなずくと、寝袋の中にあった帳面をばっと開いて読んで、中身を確かめてから、笑顔で親子へ告げた。
「六ヶ月分、二十七万ゼロゼロゼロゼロ円のお家賃の支払いがありません。どうしますか?」
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:寝袋少女バリケイド
分類:謎解け
作成開始日:二〇一三年三月十六日
作成終了日:二〇一三年三月十六日
制作時間:四時間半くらい
文字数:千八百四十