KKST-0013
白いカウンターテーブルの上、グラスの束から一本、セロリの茎を取り出して小皿のマヨネーズにつけると、日暮(ひぐらし)はそれを深めにかじって、面倒くさそうに頬張りながら、
「あ、」
と声を上げた。
「新しいギャグを思いついた」
「あ?」隣に座っていた両角(もろずみ)が返す。手持ちのセロリに小皿の味噌をたっぷり擦りつけながら、「なに。ギャグ?」
「そう」と日暮。セロリを一気に飲みこんで、「披露していい?」
「知らんわ」両角は鼻で笑って、味噌まみれの先端をじっと確かめてから、かじかじ細かくセロリを噛んだ。「勝手にどうぞ」
その隣では、本堂(ほんどう)がメガネを額に上げたまま、サラダボウルいっぱいに盛られたセロリの葉を睨んでいた。
「では、……」
コップの水で口を軽くゆすいだ後、日暮は肩を二、三上げ下げしてから、思い切り息を吸って、腹からの声で、
「——インフルインフルぅッ!」
と発しながら、目を見開いて、構えた両腕を小刻みに振った。
「インフルインフル!」
やがて両手を交互に突き上げだした。
「インフルインフル!」
「……」
両角は心ない瞳でそれを見ながら、黙々と口元を動かしていた。
本堂は意を決したように箸でセロリの葉を一切れつまむと、小皿のポン酢に表裏浸して、さっと口の中に放り込んだ。噛みだしてすぐ、
「どほっ、」
とむせて、ぎゅっと顔をしかめた。「不味(まじ)い。まじい、まじいよ」
「いかがですか皆さん」
食べかけのセロリを握りしめ、満足げに日暮が横二人へ訊く。
「いかがですか。久しぶりにこれはキたんだけどな」
「キたって何が? 寿命?」能面みたいな顔だけ向けて、両角はまたセロリの残りに味噌をつけだした。「いいと思うよ。死んで」
「えー、駄目ぇ?」首を捻りながら、日暮が自分のセロリを口に手で押し込む。「本ちゃんは? どうだった今の」
コップの牛乳で口をゆすいでいた本堂は、涙目でぎろり、日暮を睨みながら、落ち着いた声で、細切れに応じた。
「お前の頭蓋骨を、」
「うん?」
「開けて、」
「開けちゃった」
「脳味噌に電極を埋めたい」
「んええ怖いよそれ! 色々と怖いよ!」大げさに怯んだ日暮の口から、セロリのかすが飛び出す。「おっと、失敬」
「とにかく面白くないわ。根本的な、何て言うかね、」
大分短くなってきた手持ちのセロリをくわえながら、両角はぼんやり前方の白い壁を見やった。「……思いつかんけど、生きていく中で、ボケに走ることが絶対許されない人間ってさ、世の中にいると思うんだよね。君はそれ」
「ぶうぶう」両手に持ったセロリで天板を叩いて不満を表す日暮。
「じゃあ僕みたいな人間は、どういう路線で行ったらいいんですか」
「知らんわ」
「黙って喰ってな」
二人ともにべもなく返すので、日暮はむかついて、セロリスティックを二本同時にばりばりむさぼった。
「美味しくない。……美味しくない!」
「んだね」と両角。
「……えぶっ、」目頭を押さえながら飲みこむ本堂。
「どうしてこんなに美味しくないのか!」
「その割にめっちゃ喰ってんね」コップのトマトジュースに口つける両角。
「だってセロリしかないじゃん、ここ!」頬を膨らして憤慨する日暮。「新聞紙とか置いてあったら、今の僕だったら食べるよ!」
「喰うかよ」ご冗談を、みたいに笑う両角。
「喰うよ! そういう勢いだよ、僕はッ!」
「ん」そこに本堂が、両角の頭の上から新聞紙の切れ端を差し出してきた。
「え?」
「ん、」
本堂の、眼で日暮へ示す先、テーブルの隅に、採れたてのセロリの山があって、その下に新聞紙が敷かれていた。
「ん」
「喰うかよ!」思わず切れ端をはね除ける日暮。
「勢いどうしたんだよ」手を叩いて笑う両角。
「例えだよ! それとなく分かってよ!」
「まあ、喰えや」
本堂は切れ端を半分に破いて、一方をポン酢につけて食べながら、もう一度日暮へ差し出した。「まじいよ」
「……」
日暮は、諦めたようにゆっくり首を振って、
「喰うよ……」
それを受け取ると、こういう勢いだよ、と呟きながら、セロリを筆にしてマヨネーズを塗りだす。
「気分転換にいいかも。俺にも頂戴」
「ん」
座ったまま、本堂がテーブルの隅へ手を伸ばす。
「わけ分かんないよ、もう……。——ん?」
マヨネーズでべとべとになった切れ端の中に、日暮は、新聞の刊行日が刷られているのを見つけた。
「平成二十年十月十六日だって」
両角が、自分のセロリを巻いた新聞紙へ顔を近づけて、
「ほんとだ」
「今日かな」
「きょう、って?」
「いま。この日。セロリもぐもぐしてる、いま」
「いま……」
両角はそう言ったきり、魂が抜けたようにしばしぽかん、とたたずんでから、ゆっくり本堂と顔を見合わせた。そして、本堂、彼女のほうが代表して、日暮に尋ねる。
「……きょう、って、何だ?」
「えっ、」
日暮、彼のほうは、はじめ純粋に面食らって、ちらりと目下の小皿に置かれたセロリを見直し、次にテーブル一式の他は何もない、ぴんと静まった真っ白な室内を見回した。そのあと何か、急に顔から血の気を引かして、
「いやいや、」
二人へ向けて、でたらめに両の手を振りまくった。
「いやいやいやいや。嘘でしょ? いやいやいやいやそんなあ」
「ああ、」両角がほっとした顔で、「なんだ、ギャグか」
「違うわ! 真面目に話してるわボケぇッ!」
「おお、」本堂が感嘆して、「ツッコミの方が良いな」
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:セロリもぐもぐ
分類:掛合い
作成開始日:二〇一三年二月十一日
作成終了日:二〇一三年二月十一日
制作時間:四時間半くらい
文字数:二千二百六十八
KKST-0012
〇無印良品の二〇一三年春夏コーディネート集でファッションを決めて、ワンカット書きます。
・オーガニックコットンUVカット太ボーダーポロワンピース(三千九百八十円)
・コットンサイドファスナーリュック(二千九百八十円)
・コーデュロイリボンバレエシューズ(千九百八十円)
〇おしあがり
待ち人が来るまでの暇つぶしに、斜め前方の席を眺めていた。女子高生くらいの少女二人組で、手前の短い栗毛にピンクの襟立ちシャツの子のことは、背を向けているので良く分からなかったが、向かいに座る黒髪ストレートの子の様子からして、他愛ない話に興じているだけのようだった。黒髪娘は、白地に太いグレーの横縞が入った涼しげな半袖ワンピースの出で立ちで、膝の上に小さな生成りのリュックを乗せて抱え、ウッドテーブルの上の汗だくなソーダをストローで吸ったり、目玉型プリンにフォークを刺して崩したりしながら、屈託なく笑っていた。
「煙の出方が全然違うのねー、グルヌイユの生き血だと……」
「それでソロモンにして、飛ぶと、すごい!」
などという台詞に被さってウエイターが通り過ぎて、旧い板張りの床の軋みの連鎖に耳が行く。心地悪い冷気を、くたびれた大きな天井扇が外からの強い光と一緒にかき混ぜる。柱と梁の彫り込みが気になるが、近視気味なせいか上手く見えない。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:MUJI 2013SS 73F
分類:カット
作成開始日:二〇一三年二月十日
作成終了日:二〇一三年二月十日
制作時間:一時間くらい
文字数:五百六十一
(シューズを書けなかった……)
KKST-0011
新聞を読み終わってソファの脇に畳むと、足下でだらんと寝伏せていた黒いレトリバーがちらり、こちらを伺ってきた。何も言わずに額を撫でたら、その手に鼻をつけて二、三尻尾を振ったものの、それきり、またぺたんと顎を床に置いて、ぼんやりした世界へ沈んでいった。
短めの被毛に巻き付いた首輪全面のバックライトが青色に波打っている。ご気分が優れないようだ。
丁度陽もかなり色づいてきたので、散歩に行こう、と声をかけた。
彼はにわかに起き上がって、ジャンパーを羽織るこちらへ向かって、尻尾振り振り駆けつけた。玄関まわりで伸びたり、うろついたりしては、期待に輝く瞳を再三投げる。首輪にはイエローの光がくるくる巡っていた。
大分くたびれたアクリル繊維の胴輪(ハーネス)を取り付けてやるときに、長らく使っていなかった、首輪の縁にある小さな「きもちスイッチ」を入れてみた。
途端に首輪から、
「脱糞!」
とクリアな音声が飛び出たので、すぐスイッチを切った。
胴輪に赤いリードを引っかけて、一緒に家を出る。裏の雑木林を歩いて、河原へ出るのがお決まりの行程である。散策路には冷たく湿った空気が漂っていて、木々のさわさわといううごめきに、鳥や虫の声が紛れて響いていた。色づいた落ち葉がへばりついて溶けていく土の上を、ぺたぺた軽やかにレトリバーが先導して、ハッハッ、と息吐きながら時々ちらり、振り返る。
自分なりの変顔をつくってみせたが、特に反応なくあっちを向かれた。
未だにどう返すのが正解なのか分からない。
大小のトイレを済ませて河原に出ると、束ねて握っていたリードの余りを離してやった。いいよ、と合図すると、彼は待ってましたとばかりに、勢いよく走り出した。
全部で二十五メートルあるリードが、見る見る遠ざかるレトリバーの、軌跡になって延びていく。
ぴんと引っ張られないうちに、こちらも走って後を追う。すると急に彼はばっ、と引き返し、尻尾を立てながら、飛び石のように全身弾ませて嬉しそうに向かってきた。その躍動する、肩、脚、胸の筋骨にあわせて黒毛が艶めく。
襲われてはたまらないと思い、あわてて進路から飛び退いたけれども、向こうはそのまま横を突っ切って行った。そして大分遠くから、へらへら舌を出して、挑発するようにこちらを見た。若干むきになって猛発進したら、また明後日の方角へ逃げていった。
五分も経たずに疲れて飽きて、しゃがみ込んでいたところへ、川の水をひとしきり舐めたレトリバーが戻ってきて、背を向けてお座りをした。行儀良い仕草が可愛らしかったので、頭から背中にかけて触ってやりながら、緑色に光る首輪の「きもちスイッチ」を再び入れた。
「めし!」
すぐスイッチを切った。
彼は満足そうにちらり、何度かこちらを見てきたが、しばらく放っておいた。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:バッカス(デモ版)
分類:描写文
作成開始日:二〇一三年二月三日
作成終了日:二〇一三年二月三日
制作時間:三時間半くらい
文字数:千百七十一
KKST-0010
〇次のキーワードを用いて、八百字以内で物語のあらすじを書きます。
(音楽CD・風力発電・時代劇・魚)
※キーワードは、Wikipediaの「おまかせ表示」機能を利用して、出来るだけランダムに選びました。
〇おしあがり(八百字)
洋上での風力発電が盛んな海辺の町で暮らす高校生・ケイタ。ある朝、いつものように漁師の父らと船で沖に出て網を引いた彼は、揚がった魚の中に金色のダツを見つけた。放置しても腐らないそれは、地元の言い伝えによれば「凶兆」であり、見つけた者が芝居を捧げ、終わりに誰かをそのダツで刺さなければ災いが起こるという。はじめ意に介さなかったケイタだが、周囲で不審火や事故死が相次いだため、季節外れの転校生・アイコや親友・ノリチカらのたきつけもあり、夏祭りに神社の境内で芝居をすることを決める。
準備を始めたケイタは、時代劇の選考など何かと口を出すアイコに関心を持つが、彼女は何の前触れもなく姿を消した。一連の事件に関係があると直感した彼は、ノリチカらと真相を探る。すると、事件の被害者は皆、洋上風車に環境上の理由から反対だったことが分かる。風車推進派の町幹部や有力者の関与が疑われたものの、誰も知らぬ存ぜぬでらちがあかない。反対派であったケイタの父親にも問いただすが、父親は、風車の管理施設が、アイコの転校を境に武装集団に占拠されていると告げ、深入りを禁じる。
祭りの日を迎え、神社で「芝居」の準備をしていたケイタを武装集団が突如襲い、風車の管理施設へさらった。中にはアイコがおり、実は風車が公安の実験装置で、自分は準備のため町で活動する父親のカモフラージュだと明かした。町全体を集団催眠で狂乱させる低周波音の発射試験を行う前に、「異常な物品」を所持する彼だけ調査のため隔離したという。ケイタの抵抗むなしく試験が開始されるが、パニックになったのは武装集団の方だった。変心したアイコがイヤホンに低周波音が流れるよう細工していたのだ。同士討ちの銃声の中、彼女はケイタから借りていた音楽CDを出し、その光に飛びついた金色のダツに首を貫かれた。彼が脱出するのと同時に管理施設は爆発、試験は阻止され、町は平穏を取り戻した。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:金色のダツ
分類:粗すじ
作成開始日:二〇一三年一月十四日
作成終了日:二〇一三年一月二十七日
制作時間:七時間くらい
文字数:九百十五
(あらすじ書くの、超絶むずかしい……!)
KKST-0009
日の入り後の薄暗い部屋で、テレビがタレントの開運旅もの番組を垂れ流すのを背に、僕はパソコンで名の知れない同人作家の少女漫画をダウンロードしようとしていた。
しゅうしゅうとディスプレイの背後で、円筒型の加湿器が湯気をあげている最中から、
「あれ、ボクのこえ、
か、わ、っ、て、き、た、な、あ、」
と、消え入るように低く歪んだ喋りが聞こえた。時報ロボットの電池切れが近い知らせだ。ロボットとは言え、唯一の家族と険悪になることがなにより怖かった僕は、慌てて立ち上がると、ソファの後ろの棚にいた立方体の時報ロボットを持ち上げた。
「電池がなくなってきているようだよ。気がついてくれてとってもうれしい」
動きを関知したのか、ロボットが褒めるパターン文をか細く発した。「なるべく早く、新しいものにこうかんしてね」
僕がロボットの底の電池ぶたを開けようとした矢先、
部屋中の電話が一斉に鳴り出した。
据え置きのファックス。万能携帯(スマートフォン)。仕事用の有能携帯(フィーチャーフォン)も。
パソコンに繋いで耳に当てていたヘッドフォンからも電子的な呼び出し音があふれた。僕は軽いパニックの中、夢中で仕事用の携帯を手に取り、筐体(きょうたい)を開いた。
画面には、呼び出し人が、『コルムーン歌劇団』とあった。
全く知らない存在だった。
ファックスも、万能携帯も、どれも同じ呼び出し人を知らせていた。
鳴り続ける。鳴り続ける。
呼び出し音が繰り返し部屋をかき回す。
僕はとても応答する気にはなれなかった。けれども、そういうふうに無視することは、とてもやましいように思われて、のどの奥の奥のほうが、ひりひり痛んで辛かった。
一分ほどで、全ての呼び出し音は止んだ。
安堵したついでに、加湿器に黄色い欠水警報ランプが点いているのが目に入ったので、水を補給するために電源スイッチをオフにした。時報ロボットをその隣に戻しながら、僕は、少し前に同じように電話を無視したあと、名の知れない誰かから、
「なんで出ないのよ」
と万能携帯へショートメッセージが投げられたのを思い出して、いっそう憂鬱になった。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:薄暗い部屋
分類:夢原作
作成開始日:二〇一三年一月十九日
作成終了日:二〇一三年一月十九日
制作時間:一時間弱
文字数:九百四
KKST-0008
毎日一通、わたし宛に差出人のない絵手紙が届く。素朴な写真やイラストに、わたしをいたわるうつくしい手書きの言葉を添えて。もう一年以上も、ずっと。
差出人は、文面からして、わたしを詳しく知らないようで、愛しているわけでも、会いたいわけでもないようだったが、気味が悪いのには違いない。警察に少し相談はしたが、わたしに何の心当たりもなく、いっこうにエスカレートしない以上、正体を突きとめて対処するのは難しいといわれた。郵便屋さんの方も、不気味だからといって届けないというわけにはいかないらしい。
わたしはすっかり諦めて、とにかく寄せられる絵手紙を、一ヶ月毎に燃えるゴミと一緒に出して捨てている。いつまでこれが続くのかと思うと気が遠くなるが、不思議なことの一つ二つ、世の中にはあるものだと思って、大体慣れた。
今日も仕事を終えてアパートへ帰り、ドアの新聞受けを開けると一枚、ちゃんと絵手紙が落ちてきた。裏にはこうある。
『寒波止まず身も心も芯まで冷え入る折ですが、どうぞお身体ご自愛くださいませ。このてがみをよんだひとは、三十ねんいじょうに同じてがみをださないと、ふこうになります。』
とりあえず脱ぎかけのコートのポケットにそれをしまって、わたしは夕飯のことを考えながら、部屋の奥の灯油ストーブの火を点けた。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:趣旨の誤解
分類:謎解け
作成開始日:二〇一三年一月十四日
作成終了日:二〇一三年一月十四日
制作時間:一時間弱
文字数:五百五十四
KKST-0007
この日会議室で開かれた、販売促進課の全体ミーティングは、新型便秘薬の商品戦略がおもな議題だった。
「それでは、担当の平澤(ひらさわ)くんから、詳しくお話しします」
女性係長がコの字に並ぶ一同に一声かけたのち、目で合図すると、若い平社員が立ち上がった。彼はあきらかに緊張しており、手に持つ資料をやたら振り回し、声を引きつらせていた。
「えー、今回、今回は、……あのー、木天蓼(またたび)製薬にとって、四十五年ぶり、の、新しい、便秘薬の発売、ということで、あのー、……便秘薬、についてですね、えー、どのような、ブランド、コミュニケーション、デザインによって、展開するか、ということについてですね、……えー、ご説明、いたします。えー、えー……、」
あまりにおぼつかないその喋りに、居たたまれず皆が黙る中、平社員は急ぎ、プロジェクターでスクリーンに映している画面を切り替えた。
木天蓼製薬・新便秘薬 商品名:
ア ハ フ ィ ニ ッ シ ュ
「まず製品のネーミングですが、えー、アヒャ、」
「あふぁふぃにっしゅ?」
太枠眼鏡の中年課長が、急に低い声を挟んだ。
「はっはい、アハフィニッシュ!」
平社員、がくんがくん頷く。
「今回、この便秘薬は、えー、開発の、企画の、あのー、お客様リサーチを踏まえてですね、えー、『爽やか、なお通じ』、をコンセプトにですね、お口、爽やか、腸も爽やか、でー、画期的なダブルの清涼、清涼成分、それから業界初となる超、強力生薬を、配合、ということでですね、えー、そのイメージにふさわしい、爽快感、達成感、みたいなものが、あのー、ダイレクトに、伝わるような、」
「うーん」
課長は、あからさまに呻りだした。
「あのー、えー、ネーミングを……」
「うーん」
「ネーミング、……です」
「うーん」
強く深く、そして相槌くらい執拗な呻りだった。
さすがに平社員も、課長に異議があるのを察して、その場で狼狽(うろた)えた。
「えー、あー、あの、……」
迫る駄目出しに、会議室がしんと緊迫する。
「うーん」
課長は顎を掴み、眉間を寄せて、いよいよ一言、
「どうなんだろうね」
「はいっ」
「どうなんだろう」
言って、虚空にあった視線を平社員に向けてから、少しずれていた眼鏡と兜を直した。
「いや、方向性は分かる。分かるんだけどなあ……」
そしておもむろに立ち上がると、緋色の鎧をがちゃがちゃ言わせながら、ふらふら会議室を出て行った。
「えっ、」
「分かるんだよ。分かるんだけどなあ……」
遠ざかる課長の声。軽くざわめく一同。
「課長、」
直立不動で至言を待っていた平社員は、面食らって、同じくがちゃがちゃ課長の後を追った。
分かるんだけどなあ、分かるんだけどなあ、……と呟きながら、課長はオフィスの廊下を通り、非常階段を上って屋上に出て、ため息ついでに防護柵を乗り越えた。
「課長っ」
平社員の再三の呼び止めもきかず、何の足場もない空中に踏み出した課長は、
そのままがちゃがちゃ歩いて行く。
「えっ、課長、えっ!?」
平社員は、もう訳が分からなくなったので、とにかく同じように柵をよじ登って降りて、抜いた脇差(わきさし)を課長が歩いた辺りへぱっと投げてみた。普通に落ちて、花壇に刺さった。
「やっ、かっ、課長ーっ」
「分かるんだけどなあ……。いやなあ……どうなんだろうなあ……。ふざけてないかなあ……」
課長は兜の中に片手を突っ込み、ゆらゆら煩悶しながら、どんどん高度を上げていった。
するとにわかに前方、白昼の空へ、巨大な真っ黒い球体が現れて、轟音と共に、太い稲妻を幾重にも飛び交わせた。その奥には満天の星空と、何か水晶のようなもので構成された異様な建造物が見えた。この世界の未来は暗い。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:下剤会議
分類:意外性
作成開始日:二〇一三年一月六日
作成終了日:二〇一三年一月六日
制作時間:四時間半くらい
文字数:千五百七十