tamagome logs

たまごにことだま、こめてめばえる。

KKST-0028

 五歳の冬のある荒れた日のことを、グレインは今も時に鮮烈に思い出すことがあった。

 その日、村へ続くなだからな白い丘には猛烈な風が叩きつけ、ごおごおと唸りながら、彼と母の暮らす小屋の板塞ぎの窓や、石壁の角を甲高く掻いて震わせた。彼は、粉雪が吹き込む隙間に棒を詰めた外戸の前へ台を置いて上ると、目一杯背伸びして、のぞき穴のふたを開け、向こうをしかと見つめた。

 本当に神がいるのだと、彼ははじめて感じた。そしてそれが、目の前にあるとも。

 丘向こうの空は、色を失って一面に光り、その上で太陽が融けて、輝く穴と化していた。そこから無数の流星が放たれては、一瞬に貫いて、果てしなく飛び去っていった。

 彼は、右の瞳をえぐり取るような冷気と共に、誰も何も抗えない聖のちからが、母子と村のすべてを無くして、誰も彼も思いもしない、やりなおしの世界へ変えようとする甚大な意志を感じた。

 興味とおそれがまだらになって膨れ上がり、彼ひとりではうまく片付けられなかった。痛みにたまらず顔をそむけては、どうしてもまた、奇跡を覗き込んでしまう。その場から離れられないことの不安が、手足の端へ鈍く取り憑いているのが分かった。

 幼いグレインはこのとき、不意にモルデーとこの光景を分かち合いたい、そうなって欲しいと思った。しかしすぐに、母からその男がしばらく来ない、とひと月前唐突に告げられたことを思い出した。

(モルデーはこない)

 空は時が狂ったように回り巡り、まれに白布が裂け、光りの剣が大地を斬った。

(モルデーはこない)

 清すぎる青の大気がきらめいて、裁きの風が丘野の肌をなぎ払い、存在すべてを白い無がさらった。

(モルデー……)

 風はそして、惑わすように何もかも戻して見せたりもした。

(モルデーはこない)

 

 ——体を壊すからこちらへ来なさい、と母の声がした。からだから未知の力がさっと逃げていったので、思わず彼は踏み台を飛び降りて母に抱きついた。

「一夜過ぎたら、静かになるのよ」彼女は溶岩炉のそばに椅子を置いて、芋を煮込みながら編み物をしていた。「それまでお待ちなさい」

 優しく頭を撫でてもらいながら、グレインは母へきいた。

「モルデーがこないのはどうして?」

「モルデーさんは、お仕事をしなくてはいけないからね……」 

「いまさっき、モルデーをみた」

 彼は言ってから、母のことを見上げた。彼女は少し首を傾げてから、外戸へ顔を向けた。

「お外に?」

「おそとに。おそとのとおくに」

「そう、」

 返したきり、母は黙って、炉の赤い熱へぼんやり視線を落とした。

「おうちにくるんじゃないかな?」何かよい言葉を引き出そうと、彼はくいさがった。「まいにち、いつもいつもくるんだから。いまもくるんだよ。おかあさんとモルデーはこいびとでしょう? おしごとはよして、くるってことだよ。ないしょのはなしをしに……」

「来られないのよ」

 母は、淡い表情を浮かべたまま、グレインの両頬をそっとなぞって、静かに言い聞かせた。その瞳の底に、炉のかげろうが見えた。

「でも、近くまで来たのね」

 

 モルデーの死罪のことを知ったのは、それから十年も後のことだった。

 

 

(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
 仮題:地吹雪とかげろう
 分類:気持ち
 作成開始日:二〇一四年一月三日
 作成終了日:二〇一四年一月四日
 制作時間:三時間三十分
 文字数:千二百七十