tamagome logs

たまごにことだま、こめてめばえる。

KKST-0021

 しびれをきらしたのか、ローテーブル越しに、少し年上の営業マンがビジネス的な上目遣いで決断を促してくる。同じ接客ソファに並んで座る由佳里(ゆかり)も、それを迫るような――厳密には、『わたしの意見で』という――視線を陽太郎(ようたろう)の顔面に向け、焦がすくらいである。

 清潔で無機的な香りの漂うモデルルームの中や、少し膨らんだ新妻のお腹へもう一度目をやってから、陽太郎は、ちょっと一服してくるわ、と彼女に小声で伝えた。向こうはあからさまな呆れ顔のあと、諦めたように彼の肩を押し出して、当人を差し置き営業マンへ断りを入れた。

 二人の苦笑いに見送られながら、決まりの悪い心地でモデルルームを出ると、彼はすぐ、前庭の導入路(アプローチ)ぶちにある灰皿スタンドに歩み寄った。ズボンのポケットからなじみの紙箱を取り出し、そそくさ上蓋を持ち上げて一本、つまみ出して急ぎくわえた煙草の先へ、使い捨てライターの火を当てて、軽く吸い込む。

 巻紙ごと一気に赤く光りただれて、口の中に何ともいえないほのかな渋味と甘味、鼻の奥へ乾いた葉の香りが忍び来る。

 それを深いため息で吐き出したのち、無意識に人差し指と親指で煙草をもてあそびながら、陽太郎はちびちびと煙を口に吸い込んでは駄々流して、少しだけ緊張のほぐれた意識を、灰先から立ちのぼる副流煙にしばし、ぼんやりと向けた。

 五月の爽やかな陽気の中、不自然に整然として小洒落た住宅展示場のメインストリートのあちこちで、たくさんの家族連れが何か気取ってはしゃぐ子供を頭に、和やかに行進していた。皆、顔半分を覆う電脳グラスに日差しを反射させているので、表情は分かりにくかったが、軒並み口元は緩んでいる。

 ちらりとその光景を見て、陽太郎は、そう遠くない未来の自分たちのことを思い浮かべ、重ねた。少し意欲を取り戻し、大分積もって迫ってきた灰を灰皿へ落としたあと、名残惜しみの一吸いをして、煙の誘い込むような風味を確かめてから、ひときわだらしなく口から漏らしきった。

 半分くらい残った煙草を灰皿に押し潰して捨てたあと、彼は自分の電脳メガネの内側に、先程営業マンからもらった新築家屋の外観イメージ画像を二つ、三つと表示して並べた。

 結論は出ている。

 由佳里が指さしたものにしかなり得ない。ここ数ヶ月で何故か、そういう立場関係が固まってしまっていた。いま必要なのは、陽太郎自身の覚悟だけである。脳裡で彼は、おのれを駆け足にねぎらい、慰め、異質な価値観を教育して、寛容の態度の幸福を諭した。

 そして五分弱。

 メガネの画面を消し、灰皿から立ち去った彼は、モデルハウスの中へ戻り、会釈して元通り居間のソファへに腰掛けると、営業マンへ、厳しい表情と絞り出すような声で一言伝えた。

「壁は、……玉虫色で、お願いします」 

 

(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)

 仮題:ちょっとナーバス
 分類:描写文
 作成開始日:二〇一三年四月十三日
 作成終了日:二〇一三年四月十四日
 制作時間:三時間くらい
 文字数:千百五十