tamagome logs

たまごにことだま、こめてめばえる。

KKST-0014

 クミニシフェルト墓地のコテージをひと月借りたぼくは、五月から六月にかけてをそこで、やまいを癒やすためにひとり、静かに過ごした。平屋の小さな建物にはひと坪くらいのウッドデッキが組まれており、日中はもっぱらそこで読みものや書きものを、あるいはうたた寝をしていた。

 山のふもと、森のはしは、春の暮れでも朝晩冷える。雨の日は少なかったが、灰白色の空がしばしば眼下の墓銀座に流れて霞んだ。同じ色の息を吐き、震えながら、煮詰めた煎じ薬をすすってのどを通すと、その度に、じんわりからだの芯がほてって、たしかにいのちが動いていることを感じられた。

 エリアスの墓前の仏蘭西菊(ふらんすぎく)を取りかえ、こうべを垂れて祈るころには、しだいに山の向こうから、まぶしい光が降りそそいでくる。そしたら眼を細くして小屋へかえって、電子インクのビニルパネルを開いて、てのひらの上に、いままで毛嫌いしていた新書を日替わりで映し、噛んで含めるよう目を通した。

 どこかで、近くで、遠くで、短い鳥の合図が、途切れ途切れに、静かに揺らぐホワイトノイズの中に投げられては、かすかにこだましていた。不思議なもので、夜明けにはとても硬質に聞こえていたのに、空気が乾いて明るくなるにつれ、輪郭がぼんやりと優しくなって、とても心地よい。

 お昼に日持ちパンとお茶をとると、あたり一面には、ほんのりあたたかいそよ風がからまってできた、腰丈くらいのかたまりがちらほら、草木にはねかえってはずんで、気まぐれに転がっていくのが見えるようになる。ときどき、みどりをひとかけ、花弁をひとかけ食んで、たわむれに軽々と回している。

 いくつかは僕のところへ来て、頬のいちばん敏感なところと、鼻と額へ、にじみこむように撫でつけたあと、まもなくぼうっ、と耳元で囁いて、また向こうへ舞っていく。それになすがまま任せていれば、じきにぼくの意識も、ふちのほうから丸まってきて、からだとのしがらみを落とし、幸せな無へ至れた。

 日が色づき出すと、もっぱら書き写しがしたくなった。ビニルパネルの左半分をメモに切り替えて、右半分の逸文を、静電ペンで無心になって反復するのだ。エリアスがデッキの手すりに腰掛けて、ぼくに話しかけてくるのは、大体がこうしているときだった。
「なにを書いているんだい?」

 やつはいなくなった幾年も前のまま、背にした夕日に柔らかい髪を透かせ、なびかせて、影になった白い顔で、にこやかにしている。それを見て、ぼくは本当に安心した気分になって、一切の気構えを取りはずし、熱いくらいのからだの芯からの声で、そっと答えるのだ。
「呪文みたいなものだよ」

「いいね」エリアスはうなずいて、のぞき込んでくれる。「どんな?」
「戦うための」
 ぼくは、しっかりとやつに伝えた。
「戦うためのことばだよ」

 

(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)

 仮題:かぜのたま(breezy one of them)
 分類:勢いで
 作成開始日:二〇一三年二月十六日
 作成終了日:二〇一三年二月十六日
 制作時間:二時間くらい
 文字数:一千百六十二