tamagome logs

たまごにことだま、こめてめばえる。

KKST-0011

 新聞を読み終わってソファの脇に畳むと、足下でだらんと寝伏せていた黒いレトリバーがちらり、こちらを伺ってきた。何も言わずに額を撫でたら、その手に鼻をつけて二、三尻尾を振ったものの、それきり、またぺたんと顎を床に置いて、ぼんやりした世界へ沈んでいった。

 短めの被毛に巻き付いた首輪全面のバックライトが青色に波打っている。ご気分が優れないようだ。

 丁度陽もかなり色づいてきたので、散歩に行こう、と声をかけた。

 彼はにわかに起き上がって、ジャンパーを羽織るこちらへ向かって、尻尾振り振り駆けつけた。玄関まわりで伸びたり、うろついたりしては、期待に輝く瞳を再三投げる。首輪にはイエローの光がくるくる巡っていた。

 大分くたびれたアクリル繊維の胴輪(ハーネス)を取り付けてやるときに、長らく使っていなかった、首輪の縁にある小さな「きもちスイッチ」を入れてみた。

 途端に首輪から、

「脱糞!」

 とクリアな音声が飛び出たので、すぐスイッチを切った。

 胴輪に赤いリードを引っかけて、一緒に家を出る。裏の雑木林を歩いて、河原へ出るのがお決まりの行程である。散策路には冷たく湿った空気が漂っていて、木々のさわさわといううごめきに、鳥や虫の声が紛れて響いていた。色づいた落ち葉がへばりついて溶けていく土の上を、ぺたぺた軽やかにレトリバーが先導して、ハッハッ、と息吐きながら時々ちらり、振り返る。

 自分なりの変顔をつくってみせたが、特に反応なくあっちを向かれた。

 未だにどう返すのが正解なのか分からない。

 大小のトイレを済ませて河原に出ると、束ねて握っていたリードの余りを離してやった。いいよ、と合図すると、彼は待ってましたとばかりに、勢いよく走り出した。

 全部で二十五メートルあるリードが、見る見る遠ざかるレトリバーの、軌跡になって延びていく。

 ぴんと引っ張られないうちに、こちらも走って後を追う。すると急に彼はばっ、と引き返し、尻尾を立てながら、飛び石のように全身弾ませて嬉しそうに向かってきた。その躍動する、肩、脚、胸の筋骨にあわせて黒毛が艶めく。

 襲われてはたまらないと思い、あわてて進路から飛び退いたけれども、向こうはそのまま横を突っ切って行った。そして大分遠くから、へらへら舌を出して、挑発するようにこちらを見た。若干むきになって猛発進したら、また明後日の方角へ逃げていった。

 五分も経たずに疲れて飽きて、しゃがみ込んでいたところへ、川の水をひとしきり舐めたレトリバーが戻ってきて、背を向けてお座りをした。行儀良い仕草が可愛らしかったので、頭から背中にかけて触ってやりながら、緑色に光る首輪の「きもちスイッチ」を再び入れた。

「めし!」

 すぐスイッチを切った。

 彼は満足そうにちらり、何度かこちらを見てきたが、しばらく放っておいた。

 

 (※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)

 仮題:バッカス(デモ版)
 分類:描写文
 作成開始日:二〇一三年二月三日
 作成終了日:二〇一三年二月三日
 制作時間:三時間半くらい
 文字数:千百七十一