KKST-0007
この日会議室で開かれた、販売促進課の全体ミーティングは、新型便秘薬の商品戦略がおもな議題だった。
「それでは、担当の平澤(ひらさわ)くんから、詳しくお話しします」
女性係長がコの字に並ぶ一同に一声かけたのち、目で合図すると、若い平社員が立ち上がった。彼はあきらかに緊張しており、手に持つ資料をやたら振り回し、声を引きつらせていた。
「えー、今回、今回は、……あのー、木天蓼(またたび)製薬にとって、四十五年ぶり、の、新しい、便秘薬の発売、ということで、あのー、……便秘薬、についてですね、えー、どのような、ブランド、コミュニケーション、デザインによって、展開するか、ということについてですね、……えー、ご説明、いたします。えー、えー……、」
あまりにおぼつかないその喋りに、居たたまれず皆が黙る中、平社員は急ぎ、プロジェクターでスクリーンに映している画面を切り替えた。
木天蓼製薬・新便秘薬 商品名:
ア ハ フ ィ ニ ッ シ ュ
「まず製品のネーミングですが、えー、アヒャ、」
「あふぁふぃにっしゅ?」
太枠眼鏡の中年課長が、急に低い声を挟んだ。
「はっはい、アハフィニッシュ!」
平社員、がくんがくん頷く。
「今回、この便秘薬は、えー、開発の、企画の、あのー、お客様リサーチを踏まえてですね、えー、『爽やか、なお通じ』、をコンセプトにですね、お口、爽やか、腸も爽やか、でー、画期的なダブルの清涼、清涼成分、それから業界初となる超、強力生薬を、配合、ということでですね、えー、そのイメージにふさわしい、爽快感、達成感、みたいなものが、あのー、ダイレクトに、伝わるような、」
「うーん」
課長は、あからさまに呻りだした。
「あのー、えー、ネーミングを……」
「うーん」
「ネーミング、……です」
「うーん」
強く深く、そして相槌くらい執拗な呻りだった。
さすがに平社員も、課長に異議があるのを察して、その場で狼狽(うろた)えた。
「えー、あー、あの、……」
迫る駄目出しに、会議室がしんと緊迫する。
「うーん」
課長は顎を掴み、眉間を寄せて、いよいよ一言、
「どうなんだろうね」
「はいっ」
「どうなんだろう」
言って、虚空にあった視線を平社員に向けてから、少しずれていた眼鏡と兜を直した。
「いや、方向性は分かる。分かるんだけどなあ……」
そしておもむろに立ち上がると、緋色の鎧をがちゃがちゃ言わせながら、ふらふら会議室を出て行った。
「えっ、」
「分かるんだよ。分かるんだけどなあ……」
遠ざかる課長の声。軽くざわめく一同。
「課長、」
直立不動で至言を待っていた平社員は、面食らって、同じくがちゃがちゃ課長の後を追った。
分かるんだけどなあ、分かるんだけどなあ、……と呟きながら、課長はオフィスの廊下を通り、非常階段を上って屋上に出て、ため息ついでに防護柵を乗り越えた。
「課長っ」
平社員の再三の呼び止めもきかず、何の足場もない空中に踏み出した課長は、
そのままがちゃがちゃ歩いて行く。
「えっ、課長、えっ!?」
平社員は、もう訳が分からなくなったので、とにかく同じように柵をよじ登って降りて、抜いた脇差(わきさし)を課長が歩いた辺りへぱっと投げてみた。普通に落ちて、花壇に刺さった。
「やっ、かっ、課長ーっ」
「分かるんだけどなあ……。いやなあ……どうなんだろうなあ……。ふざけてないかなあ……」
課長は兜の中に片手を突っ込み、ゆらゆら煩悶しながら、どんどん高度を上げていった。
するとにわかに前方、白昼の空へ、巨大な真っ黒い球体が現れて、轟音と共に、太い稲妻を幾重にも飛び交わせた。その奥には満天の星空と、何か水晶のようなもので構成された異様な建造物が見えた。この世界の未来は暗い。
(※この文章の内容は、フィクションです。趣旨については「はじめに」をご覧ください。)
仮題:下剤会議
分類:意外性
作成開始日:二〇一三年一月六日
作成終了日:二〇一三年一月六日
制作時間:四時間半くらい
文字数:千五百七十